立川で葬儀に参列してしんみり

立川で葬儀に参列しました。小学校時代の恩師が亡くなったのです。結構な年齢だったのですが、第一報を聞いたときにはとてもショックでした。怒られたこと、ほめられたこと、うれしいこと、悲しいこと。子供の頃の思い出がよみがえってきます。小学校を卒業してからクラス会などでお会いしていましたが、ここ数年出席されていなかったので心配はしていたのですが。でも、立川で葬儀が営まれるのですから、しっかりと最後のお別れをしなくてはいけませんよね。

葬儀場は立川にありました。ほかの同級生から葬儀場を聞いたとき、「ああ、立川で葬儀があるのか」と思いました。先生は立川で生まれ育ったこともあり、立川で葬儀が営まれることはよかったのではないでしょうか。それに、わたしたち小学校の卒業生も立川の周辺に住んでいますから、集まりやすいと思います。それに、立川は交通の便がいいので、少し離れていても集まりやすいのではないかと思います。

葬儀の日がやってきました。久しぶりに会う、懐かしい顔がたくさんいます。髪の毛が薄くなったり、お腹が出てきたりとみんな年を取りましたが、どこかに小学生時代の面影が残っています。ほとんどが立川の周辺に住んでいます。立川で葬儀が営まれたから、先生と最後のお別れができるという声をたくさん聞きました。わたしもそれは同じ。立川で葬儀があってよかったし、先生も懐かしい顔に出会えてよかったのではと考えたりしたのでした。

厳かな葬儀でした。葬儀のとき、小学校の同窓生が弔辞を述べましたが、とてもいい話でした。在りし日の先生が思い出されるエピソードをまじえながらの話に、会場からはすすり泣く声が聞こえてきました。ついつい、わたしももらい泣きしてしまいました。祭壇にあった先生は笑っていました。なんだか、とてもうれしそうな笑顔。立川で葬儀が営まれたからこそ、こうしてたくさんの教え子が集まった。そのことを喜んでいたのかもしれません。

葬儀が終わると、みんなで食事に出かけました。そこでは、先生の思い出話に花が咲きました。立川で葬儀があったのは、きっと亡き先生がみんなを結びつけるためだったのではないか。そう考えたくなったのです。

 

立川で葬儀の参考情報  →  http://www.yamato-sousai.co.jp/sub_tachikawa.html